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L.V.ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調作品125
2024.06.17
ベートーヴェンと「第九」について
ベートーヴェンの最高傑作の一つとして世界的に知られる、交響曲第9番ニ短調作品125(通称「第九」)。この作品は、終楽章にドイツの詩人フリードリヒ・シラー『歓喜に寄せて』を原詩にもつ「歓喜の歌」の合唱曲を伴うことから、「合唱付き」とも呼ばれます。ベートーヴェンがその生涯で完成させた9つの交響曲の最後を飾るこの作品は、ウィーンにおける1824年5月7日の初演から、ことし200周年を迎えました。
世界中の人々に愛されつづけ、とくに日本においては年末の風物詩として広く親しまれている作品です。
ベートーヴェンが「第九」に用いた、シラーの『歓喜に寄せて』が書かれたのは1785年のことでした(*1)。当時、フランスでは理想主義に燃える青年をはじめ、市民たちが貴族中心社会、そして王室打倒にむけ熱狂していた時代です。ベートーヴェンは22歳の時にこの詩に出合い、彼ら同様感動をおぼえ、いつかは曲をつけたいと考えたといいます。
28歳ごろから難聴と健康問題を抱えていたベートーヴェンは、そのために社交を犠牲にし、時には自殺を考えながらも、作曲家として活動を続けることを選び、創作に打ち込みました。「第九」の創作に着手した40代後半、ベートーヴェンの音楽的技巧は円熟し、楽想も深まっていたものの、すでに聴覚のほとんどを失っていたといいます。そのような中、もう一つの傑作である「荘厳ミサ(ミサ・ソレムニス)」と並行し、1824年に「第九」を完成させました。
完成した「第九」の初演は、同年5月7日ウィーンのケルントナートアー歌劇場で行われました。指揮台には黒の衣装に白いネクタイを結んだベートーヴェンが立ち、その傍らでミヒャエル・ウムラウフが実際の指揮者を務めました。練習が不十分で演奏は決して良いものではなかったにもかかわらず、聴衆からは大喝采が起こりますが、音の聞こえないベートーヴェンには別の世界の出来事でした。そのとき独唱者の一人、アルト歌手カロリーネ・ウンガーがベートーヴェンを促し、客席の大喝采を見せたと伝わっています。
「第九」には、音楽の中で人々との喜びに満ちた愛情あるつながりを夢見、自分の人生の中でそうしたつながりを探し求めたベートーヴェンの、生きたかった世界が描かれているといえるでしょう。ベートーヴェンの究極の願望が具現化された、渾身の傑作です。
各楽章について
管弦楽と声楽の組み合わせをもつ四楽章からなる「第九」は、合唱を伴う終楽章により、従来の交響曲にはなかった革新的な作品となっています。第一楽章から第三楽章ではそれぞれ異なった世界が描かれ、終楽章の叙唱句で前の三楽章を否定する、といった構成をもちます。各楽章の豊かな楽想と、第四楽章における「歓喜の歌」の総奏それぞれに耳を傾けてください。
第一楽章
弦楽器のささやくような音にはじまり、壮大で力強く主題へと移る場面は、ベートーヴェンの人生における寂しさや不安と、作曲家としての気高く強い意志を思わせます。革命的・英雄物語的なエネルギーにあふれた楽曲です。
第二楽章
印象的な序章の後、徐々に賑やかさを増す第二楽章は、スケルツォ(諧謔曲)という形式の楽曲です。「第九」の第二楽章は、ベートーヴェンのスケルツォの中でも特に長大かつ精巧であるといわれ、エネルギッシュで爽快な楽章となっています。ティンパニの軽妙な活躍は演奏会の見どころの一つです。
第三楽章
弦楽器と木管楽器が呼応し、安らかさや平和な気高さ、清浄で美しい楽園的世界観が展開されます。威厳を感じさせるファンファーレが鳴り響き、続く変奏でさらなる楽園に誘います。
第四楽章
前楽章の平穏を破り、前の三楽章の主題を短く回想しながら次々に打ち消し、続いて低弦による「歓喜の歌」の主題が聴こえてきます。その後、「歓喜の歌」の大声楽曲が続き、人類の普遍的な喜び、すべての人々(兄弟)が自らの道を進み歓喜の世界へ入ろうと高らかに歌いあげられ、フィナーレを迎えます。
ベートーヴェンの生涯が凝縮された[交響曲第9番 (合唱付き)]を、「久留米第九」の演奏でお楽しみください。
(*1)1805年に改訂